moon🌛日記

はじめての妊娠・子育て & なんでもない日常のこと

予定日まで50日切った、産前のぼやき

一人の体で動き回れる最後と思って、産前休は最大の6週で考えたのに、プロジェクトのスケジュールの関係で会社にお願いされて1週間後ろ倒しになった。自分もやりたい仕事だったし、お金もその分もらえるわけだし、納得はしてるけど、これでよかったのか〜?!と思ったり。

ほんとに、ほんとに、親でない自分でいるのはいまが最後なんだなあと思うと、わーーー!ってなるな。しかも一緒に親になる夫とは離れているわけで。たまに、たった一人で新しい世界に向かっている感じがする。留学とかみたいに、新しい環境にいき、1年後に帰ってくる...とかではないし。

 

とうとう2月から、出産の立ち会い・面会がNGになってしまったし、産まれた瞬間、その直後、家族の誰かの手を握ったりできないと思うと、とても寂しい。一人で挑むのかあ、、と。

でも出産時に苦しいのは自分だけでなく、あんな狭い産道を通る赤ちゃんも苦しいと聞いたから、一人ではなく、ふたりで頑張るのだよね。

 

さいきん出産動画見たりするのだけど、痛みで身体や声が震える人、骨にドリルで穴を開けられるようだと形容する人などがいてビビりまくり。毎日誰かが、どこかで、そんな痛みや恐怖の中、出産がんばってるんだよね。妊娠10ヶ月+出産分を考えたら、産後、パートナーには同じだけとは言わず、倍がんばってほしいよ...。

 

さて、仕事して、編み物して、運動して寝よう。

 

 

読書『幼児期ー子どもは世界をどうつかむかー』

岡本夏木著『幼児期ー子どもは世界をどうつかむかー』について。新書はやはりリズムを掴むまで時間がかかるね。図書館で借りて、全部読めないまま返却してしまったけど、印象的だった箇所について書いておこうと思う。

 

現在の子どもが置かれている文化的・社会的状況について「情報化(情報社会」と「能力主義」をあげてました。で、特に後者について、なるほどなあと思ったので、メモ的にここに書いておきます。

 

能力主義

本来、「能力」ってすごく色々なものがあると思うけど、子どもが求められている「能力」=デキルということ。「一人で早くできる」そんなことが良しとされている、それ自体は別に間違ってはいないんだけど、「できない」「遅い」「助けが必要」な子たちが軽蔑の対象とされてしまう可能性について書かれていた。でも人ってできない時や、人に助けられる中でいろいろ学ぶこともあるよね・・・という話(と理解した)。

 

「操作対象」「資本投資」としての子ども

「他人より少しでも有利な地位と収入」につながる能力に向けて学校教育も行われているし(象徴的なのは、テストや大学の入試等で測られる能力)、親も子どもをそこに向かわせようとすることが、けっこうある。

だけど能力主義に囚われてしまうと、それ以外の能力、それぞれにすぐれた可能性を持つ子どもの姿がぼやけてしまう。テストなんかで結果が出ない能力は評価対象とならず、学校教育の中で消失してしまう場合もあるということが指摘されていた。

さらには、世の中的に評価される能力がある=人格もすぐれていることの裏付けであるという偏見があるとも書かれていた。

能力主義にそって、子どもをサポートしていくことって、子どもを「操作対象」として見ていることであり、子どもの市場価値をあげようとする「資本投資」に他ならないとも書かれていた。親としては、当たり前の感情だし、これ自体が悪ではないけど、市場価値云々とは関係のないところで、子どもを見てあげなければいけないなあと思った。

 

こうなって欲しいという気持ちは悪ではないけど、それは親のエゴだったり、自分が安心したいからなのかもね。むずかしいけど、なるべく本人の意思を尊重したり、話し合いができる家庭でありたいなーなんて、思った。

 

 

 

 

里帰りと、32歳の肌

もう何年も前に離れた実家に数ヶ月世話になるってかなり、かなり大変だな。。覚悟してたけど、覚悟が足りなかった。何で機嫌を損ねたか分からない母に気をつかうのダルすぎないか?

いつも機嫌が良い(というか心が安定している)、優しい夫と暮らしてた方が良いに決まっているじゃないか。ましてや、わたしの夫は家事全般できるし、里帰りとは?

 

そして、最近肌が、めちゃくちゃ乾燥するぞ。もともと別に乾燥肌ではないと思ってたんだけど、妊娠してからなのか、すごく乾燥する。ずーっとエアコンついてる部屋にいても平気なスキンケアって何?イプサのザ・タイムR アクアにしてみてたけど、良さがあんまり分からず。ちょうど減ってきてたから、薬局で買えるし、dプログラムのモイストケアにしてみた。とりあえず、これで様子見ですかね。オイルとか使うと良いのかなあ。うーん。

 

あと、お化粧しないのも乾燥のもとなのかな?在宅勤務なので、ふだん化粧はせず、日焼け止めだけだったりするんだけど、水曜久々にスキンケア後に化粧した(Dr.Jart+のシカペアリカバー塗った)ら、あんまり乾燥しなかった。あれれ、お化粧って乾燥から守ってくれてるんですか?ってなりました。肌に優しいと勝手に思ってる、ノーメイクの日々。本当にこれで良いのだろうかと疑問がわいた...

 

と、まあ、がんばって生きています。ストレス溜めたくない。毎日ご機嫌でいたいよ。。

 

居場所をつくる

月に数回だけお店をやってる知り合い。お店を開いた友達の友達。行きつけの店の常連との程よい距離感。そんな話をしていて、自分もいろんな場所に居場所を持てたらいいなと思ったし、誰かにとっての居場所をつくれたら、とさえ、漠然と思った。

 

ゲイの男性が中心となってやってるNYの編みものサークルの話も最近読んだんだけど、人が集えて、時間と場所を共有し、ちらほらと会話がうまれる...くらいの場所って、なかなかな見つけるのは難しいけど、あったら良いよね。

 

この前ちょうど、原田マハさんがテレビに出てて40歳で一度人生リセットして、小説を書き始めた話をしていたんだけど、人生まだまだ何にでもなれる(と信じれば、なれる)し、何かしらやれたらな、とぼやぼや考える。

 

とりとめないけど、眠いので寝ます。

 

 

 

臨月のお腹

昨日は、もうすぐ出産予定日をひかえた友達に会った。臨月のお腹って、驚く大きさだね。まもなく31週に突入する自分のお腹を見て、いくところまでいったな!と思っていたけど、比じゃないですね。

 

やはり妊娠・出産にまつわるあれこれは、みんな手探りだな〜。情報が多い上に、小さい人間を迎え入れるということに、どうしたって想像が及ばない。とにかく困らないように色々と買い揃えて安心したい派も、無駄がないようミニマムで...と思うのも、どっちの気持ちもわかる。私は後者だけど、不意に不安になって、あれこれ買いそうになる瞬間もあるもの。

 

前回読んでますと書いた川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』。共感ポイントが多すぎるのでキリがないものの、今の自分の気持ちに近いところを引用しておこ。

 

家に帰ってごはんを食べ、ソファに座ってなんでもない話をしているとき、ふと、自分があと2ヶ月で、いままでとはまったくちがう世界のちがう生活を送る人間になるのだ、ということを、なぜなのか急に実感するような感じがあって、あ、と思った。

「 母になるのだ 」とか、「親になるのだ」とかそんなふうには思わなかったけど、なにかがほんとうに変わってしまうんだとそう思った。

 

おやすみなさい〜

読書『きみは赤ちゃん』

母が図書館で借りてた、川上美映子さんの『きみは赤ちゃん』を読んでます。

まだ30ページしか読んでないんだけど、すっごく共感できる一節があったので引用。

出産というものが、この生きやすいとは到底いえない世界にいきなり登場させる、ある意味でとても暴力的なもののように思えてしかたのなかったわたしは、友人のこの意見をきいたとき、本当に深いため息をつきながら「そうだな」と思えたことをよく覚えている。

前後を省略してて分かりにくいけど、「ある意味でとても暴力的」って、本当にそうだなーと思う。子どもは一言も「産んでくれ」なんて頼んではいない。だから「誰が産んでやったと思ってるんだ!」みたいな言葉を聞くと、なんて乱暴なんだ・・・と思う。

自分が産んだからといって、ひとりの人間が思い通りにいく訳なんてないのだから、思い通りにいかないということが通常モードなんだと心に刻んでおきたい。我が子であれ、誰であれ、人をコントロール・支配しようなんてしてはいけない・・・って難しく考えすぎ??

 

関係ないけど、耐水のはずのiPhone、お風呂に一瞬落としたことで死にました。なので、iPhone13miniを購入したよ。さようならお金。赤ちゃんが無事に生まれたら、きれいな写真が撮れるぞ!と自分を励ましている。

 

突然の...

あらあら。突然の焦りと、さみしさが夜中にやってきた。

 

わたしの周りには、子供いない夫婦もシングルもたくさんいる。そんな中、自分は親にやなろうとしている。生活リズムや、優先順位、できるとこと・できないことが変わってしまうことに焦りや、さみしさを感じる。変わりたくないーーと、どっかで思ってる。

 

子なし人生・子あり人生、両方を生きることはできないし、自分が歩まなかった方の人生に思いを巡らせてもあんまり意味はないので、やるしかないんだけど。ひとつの命がやってくるという重みに、くらくらする。

 

うーーーー!ドラマでもみながら寝よう。